アンコール遺跡群ガイド |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() ![]() ![]() 東バライは9世紀末(889~910年)にヤショヴァルマン1世によって建造された貯水池で、アンコール・トムの東側に位置する。現在は、水が干上がり、周囲のわずかな土手しかその名残を残していないが、当時は、東西7km・南北2km・水深3mの大きさであったと見られている。後に、アンコール・トムの西側に西バライも建造され、豊富な水資源となっていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 敷地は東西1000m、南北700mあり、周囲はラテライトの壁で囲まれている。碑文によると、この敷地内に、盛時には高僧18人、僧侶270人、踊り子615人が住んでいたとされている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 東西800m南北700mの境内には、盛時には97,000人を超える僧と舞姫、それを世話する人たちが住んでいたとされ、当時の繁栄が偲ばれる。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 中央の池は直径70m、その池の四方には直径28mの小池が付随されている。中央の池から四方の小池には、小さな水路が設けられ、その水路は小さな祠堂が覆っており、東側は人面、西側は馬、北側は象、南側は獅子の彫刻があり、それぞれの彫刻の口の部分から水が流れるようになっている。 この寺院は、12世紀末にジャヤヴァルマン7世により仏教寺院として創建されたとされている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 東西700m、南北500mの境内にはバイヨン寺院と同じ様式をした建物配置をしている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 「サムレ族の砦」の名前にふさわしく、高い壁と環濠があり、ポルポト政権時代には、刑務所に使用されていたという。 回廊には小ぶりなら、「入海攪拌(にゅうかいかくはん)」「踊るシヴァ」などの見ごたえのあるレリーフが施されている。 ![]() ![]() |
|←アンコール・トム|↑このページのトップ|アンコールその他の遺跡→| | |
Copyright © 2008 アンコール遺跡群ガイド All rights reserved. |