アンコール遺跡群ガイド











東部・北部の遺跡




 東バライは9世紀末(889~910年)にヤショヴァルマン1世によって建造された貯水池で、アンコール・トムの東側に位置する。現在は、水が干上がり、周囲のわずかな土手しかその名残を残していないが、当時は、東西7km・南北2km・水深3mの大きさであったと見られている。後に、アンコール・トムの西側に西バライも建造され、豊富な水資源となっていた。
 
 



東メボン 東メボン寺院は、952年にラージェンドラヴァルマン2世により、ヒンドゥー教のシヴァ神を祭るものとして建てられ、東バライの中心に位置する場所ある。現在は水は涸れているため陸続きとなっているが、当時は人工湖に浮かぶようであった思われる。






   



タ・プローム タ・プローム寺院はジャヤヴァルマン7世により1186年に仏教寺院として建立された。回廊の碑文には、同王が母親の冥福を祈って建立してとされている。その後、ヒンドゥー教の寺院に改宗され、仏教的な色合いの強い彫刻は削られている。
 敷地は東西1000m、南北700mあり、周囲はラテライトの壁で囲まれている。碑文によると、この敷地内に、盛時には高僧18人、僧侶270人、踊り子615人が住んでいたとされている。

   



タ・ケウ 11世紀初頭にジャヤヴァルマン5世により建設が開始された、ピラミッド形状のヒンドゥー教寺院である。王の死去により未完成のままとなっている。



   



プリア・カン 「聖なる剣」の意味を持つプリア・カンは、1191年にジャヤヴァルマン7世により仏教寺院として創建された。ジャヤヴァルマン7世の父で前王のダラニンドラヴァルマンは1177年にチャンバ王国と戦いに負け、アンコールの地は蹂躙されたが、ジャヤヴァルマン7世は逆にチャンバとの戦いに勝ち、その戦勝記念と父王の菩提のためこの寺院を建てたといわれている。ジャヤヴァルマン7世はヒンドゥー教徒が多い歴代王の中で、例外的に(大乗)仏教を信仰していたといわれ、この寺院が仏教寺院として建立された。
 東西800m南北700mの境内には、盛時には97,000人を超える僧と舞姫、それを世話する人たちが住んでいたとされ、当時の繁栄が偲ばれる。


   



プレ・ループ プレ・ループは961年にラージェンドラヴァルマン2世によって創建されたピラミッド式寺院である。中央祠堂と東搭門死体を荼毘する石組みの桶があることで知られている。






   



ニャック・ポアン ニャック・ポアンとは「からみ合う蛇」の意味があり、中央の池に浮かんだ祠堂の基壇には、二匹の大蛇が巻きつくように彫刻されている。
 中央の池は直径70m、その池の四方には直径28mの小池が付随されている。中央の池から四方の小池には、小さな水路が設けられ、その水路は小さな祠堂が覆っており、東側は人面、西側は馬、北側は象、南側は獅子の彫刻があり、それぞれの彫刻の口の部分から水が流れるようになっている。
 この寺院は、12世紀末にジャヤヴァルマン7世により仏教寺院として創建されたとされている。


   



バンテアイ・クディ バンテアイ・クディは「僧坊の砦」という意味を持つ仏教寺院で、もともとヒンドゥー教寺院であったものを12世紀末ごろにジャヤヴァルマン7世が改築したものと考えられている。
 東西700m、南北500mの境内にはバイヨン寺院と同じ様式をした建物配置をしている。



  



 バンテアイ・サムレとは、「サムレ族の砦」という意味を持つヒンドゥー教寺院である。12世紀初頭にスルーヤヴァルマン2世により創建された。スルーヤヴァルマン2世はアンコール・ワットを創建した王でもある。
 「サムレ族の砦」の名前にふさわしく、高い壁と環濠があり、ポルポト政権時代には、刑務所に使用されていたという。
 回廊には小ぶりなら、「入海攪拌(にゅうかいかくはん)」「踊るシヴァ」などの見ごたえのあるレリーフが施されている。

   














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