アンコール遺跡群ガイド











 アンコール・トムはアンコール遺跡の中で最大の規模を誇る遺跡で、12世紀末にジャヤーヴァルマン7世によって作られた城郭都市遺跡で、「大きい都市」を意味する。
 ジャヤーヴァルマン7世はクメール王朝中興の祖といわれ、1181年に即位すると、隣国チャンバ王国(ベトナム中部)によって侵攻され荒廃していたこの地を復興し、1199年には逆に、チャンバ王国に侵攻し、一時的にこれを占領した。王都であるアンコール・トムは、チャンバ王国に侵攻を許した経験を基に防御を意識して作られており、一辺は3km・幅130mもある濠に囲われており、8mのラテライトの城壁で囲まれている。東西南北には城門を配置している。但し、東側には2つの門があり、「勝利の門」と「死者の門」と名付けれれている。  アンコール・トムの中心部にはバイヨンと呼ばれる宗教施設があり、バイヨンを中心に十字状に道路を配置しある。


アンコール・トム




バイヨン バイヨンはアンコール・トムの中心部にある寺院である。バイヨンは須弥山をイメージして作られたといわれており、観世音菩薩(とみられる面)の四面塔など配置されている。これは、このころから大乗仏教が影響しているからといわれている。



   



バプーオン バプーオンは11世紀中ごろにウダヤーディティヤヴァルマン2世により建立された仏教寺院で、3層からなるピラミッドの形状をしている。戦争の際、王妃が王子を隠した寺院といわれている。なお、バプーオンとは「隠し子」という意味を持つ。

   



王宮 王宮は文字通り、アンコール期を通して王の住居があった場所で、東西約600m、南北約300mの壁に囲まれている場所である。王宮の中には、ピミアナカスや男池・女池などの遺構がある。

 



ピミアナカス ピミアナカスは王宮の中にある寺院で、「天上の宮殿」、「空中楼閣」の意味を持つ。この寺院は11世紀初頭にスールヤヴァルマン1世により建てられ、ピラミッドの形状をした建物である。




   



 王宮の前には350mに及ぶテラスがあり、その南側が象のテラスと呼ばれ、象をモチーフにしたレリーフがある。このテラスは12世紀末にジャヤヴァルマン7世により作られ、13世紀後半にジャヤヴァルマン8世により改修されている。このテラスでは王族が閲兵した場所とも考えられている。

 



 象のテラスの北側に位置するライ王のテラスは、象のテラスと同様に12世紀末にャヤヴァルマン7世により作られた。テラスの上にはライ王の像があることから、ライ王のテラスの名称の所以となっている。ライ王とはライ病にかかった王という説がある。
 尚、12世紀以前にも原型となるテラスが存在していたらしく、新しいテラスを作る際に古いテラスの壁を覆い隠したが、今日の修復工事の際、古い壁の彫刻が見えるよう通路が作られている。


 












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